テニスの
ツアー下部大会、ダンロップワールドチャレンジは最終日の29日、愛知・
豊田市総合体育館で
シングルス決勝が行われ、女子は第2
シードで39歳の
クルム伊達公子が、ノーシードから勝ち上がった17歳のボヤナ・ヨバノフスキ(
セルビア)を7―5、6―2で下して初優勝を果たした。13年ぶりに世界を転戦した今
シーズンは、9月の韓国
オープンでのツアー制覇を含め、計3大会を制して
全日程を終えた。

男子の
伊藤竜馬は
ウラジミール・イグナチク(
ベラルーシ)に6―7、6―7で敗れ、
準優勝だった。
この大会は世界ツアーの下部大会で、シングルスの優勝賞金は男子が5千ドル(約43万5千円)、女子が1万1400ドル(約99万円)。
------------------------------------------------------
東京運動
記者クラブ・テニス分科会は27日、今年の
最優秀選手に9月の韓国オープンで13年ぶりに女子ツアー優勝を遂げたクルム伊達公子(
エステティックTBC)を選出した。また、特別賞に今季で現役を引退した
杉山愛と
森上亜希子を選んだ。
-----------------------------------------------------
★
伊達 公子(だて きみこ、本名:クルム 伊達 公子(クルム・だて・きみこ)、1970年9月28日 - )は、日本の女子プロテニス選手。京都府京都市
上京区出身。日本人の女子
テニス選手として、史上初の世界ランキングトップ10入りを果たした選手である。自己
最高ランキングはシングルス4位、ダブルス33位。これまでに
WTAツアーでシングルス8勝、ダブルス1勝を挙げる。2001年にドイツ人レーシングドライバーの
ミハエル・クルムと結婚して「クルム伊達公子」の名前になった。略称は「クルム伊達」。
人物
大津市立瀬田南小学校-
大津市立瀬田中学校(在
校時バレーボール部)-園田学園
高等学校卒業
伊達は4大大会で女子シングルス
準決勝に3度進出し、これを含めて4大大会でのシングルスベスト8入りは6回にのぼり、準決勝進出・ベスト8入りとも日本女子選手歴代最多記録である。彼女はすべての4大大会でベスト8入りした最初の日本人女性でもある。本来は
左利きであるが、子供の頃に日本の習慣に従って
右利きに直された。そのため、テニスの試合でも相手選手がバックサイド(左側)に打ってきたボールを
左打ちする場面がしばしば見られた。
日常生活でも、サインの時などに左手を用いることがある。
伊達は「
ライジング・ショット」の名手として、世界的にも有名な選手であった。これは、相手の打ったボールが自分のコートで
バウンドした直後の上がり端を打ち返す、非常に高度な技術である。世界トップ選手へと躍進し始めた頃の伊達は、“
ライジング・サン”(
日の出)と呼ばれた。
戦歴
アマチュア選手としての活動
6歳の時から、京都
市北区にあるテニスクラブ「セブンスリー」でテニスを始め、
滋賀県大津市に転居後、京都市
山科区にてデ杯監督竹内映二の父親である竹内穣治が
オーナーを務める「四ノ宮テニスクラブ」でレッスンを積む。
中学校時代には「滋賀県テニス選手権」で優勝した。
高校時代には、兵庫県
尼崎市にあるテニスの名門校・園田学園高等学校にて光国彰監督の指導を受けた。1988年の
インターハイでシングルス、ダブルス、
団体優勝の3冠獲得を達成する。
プロ選手としての活動
高校卒業後の1989年に
プロ転向。同年、「
サントリー・
ジャパン・オープン」で
WTAツアーに
デビューし、
岡本久美子との
準々決勝まで進出。
全仏オープンで4大大会にデビュー。予選3試合を勝ち上がり、本戦2回戦に進出。
ウィンブルドンと
全米オープンにも本戦出場。女子
テニス国別対抗戦・フェデレーションカップ(現
フェドカップ)の
日本代表選手に初選出され、
西ドイツ・チームとの2回戦でダブルス戦に起用された。
1990年、
全豪オープンで初の4回戦進出を果たす。3回戦で第11
シードの
パム・シュライバーを破って注目を集めたが、前年度
準優勝者の
ヘレナ・スコバに 4-6, 3-6 で敗退した。
1991年、8月中旬の「バージニア・スリムズ・オブ・
ロサンゼルス」大会で準優勝。
準決勝で当時
世界ランキング3位の
ガブリエラ・サバティーニを破る大
金星を挙げ、決勝では当時の女王
モニカ・セレシュに挑戦した。
全日本テニス選手権の女子シングルスで初優勝を果たす。
1992年、2月に東京の「
東レ・パン・パシフィック・テニス」で、当時世界ランキング5位の
アランチャ・サンチェスを破る。3月末の「
リプトン国際選手権」4回戦で
シュテフィ・グラフと初対戦。全仏オープンで初めて4大大会のシード選手になり、4回戦に進出。全日本テニス選手権で2連覇。この年の活躍により、
WTAアワードの「最も上達した選手賞」(Most Improved Player of the Year)に選出された。
1993年、全米オープンで初の4大大会ベスト8進出。この4回戦で、当年度のウィンブルドン準優勝者
ヤナ・ノボトナを破る。
1994年、1月に
オーストラリアの「
ニュー・サウスウェールズ・
オープン」で海外初優勝。日本人の女子
テニス選手として、史上初の世界
トップ10に躍進する。直後の全豪オープンで初の4大大会ベスト4進出を果たしたが、準決勝で
グラフに 3-6, 3-6 で完敗。全米オープンで2年連続ベスト8入り。日本人選手として初めて女子テニスツアー年間最終戦の「バージニア・スリムズ選手権」の出場権を獲得し、準決勝まで進出した。(当時のバージニア・スリムズ選手権は、世界ランキング16位以内の選手のみに出場資格が与えられた。)
1995年、2月の東レ・パン・パシフィック・テニスで初優勝。その決勝戦では
親友の
リンゼイ・ダベンポートを圧倒した。リプトン国際選手権で準優勝。この大会では決勝でグラフに完敗したが、準決勝でガブリエラ・サバティーニを 1-6, 1-5 の
土壇場から逆転し、1-6, 7-6, 7-6 で逆転勝利を収めた。この年は全仏オープンで日本人初のベスト4進出を達成するが、準決勝でアランチャ・サンチェスに 5-7, 3-6 で敗れた。敗れたものの、この準決勝は
テレビ東京系の
地上波で
ゴールデンタイムの午後9時から放映された。11月に自己
最高の世界ランキング4位を記録する。
1996年4月27日 - 28日、東京・
有明コロシアムで開かれた女子国別対抗戦・フェドカップの「ワールドグループ」1回戦で
ドイツと対戦し、28日の試合で女王シュテフィ・グラフを 7-6, 3-6, 12
-10 で破る大金星を挙げた。1996年7月4日 - 5日の2日間にわたり、ウィンブルドン準決勝でグラフと最後の対戦をする。第1
セットはグラフが 6-3 で先取したが、第2セットを
伊達が 6-2 で取り返したときに試合が日没順延となり、翌日に持ち越された第3セットはグラフが 6-3 で取ったため、日本人選手初の4大大会決勝進出はならなかった。
アトランタ五輪でも女子シングルスのベスト8に進出し、アランチャ・サンチェスに惜敗する。しかし8月25日、
アメリカ・
サンディエゴで開かれた「
トーシバ・クラシック」決勝戦でサンチェスを 3-6, 6-3, 6-0 で破り、WTAツアー7勝目を挙げた。
同年9月24日に
現役引退を宣言。WTAツアー年間最終戦の「
チェイス選手権」2回戦で、当時16歳の
マルチナ・ヒンギスに 1-6, 2-6 で敗れたのが現役最後の試合となる。世界ランキング8位での引退だった。
グラフとの通算対戦成績は1勝7敗であり、
スペインの
コンチタ・マルチネスには「6勝2敗」と大きく
勝ち越した。またアメリカのリンゼイ・ダベンポートの若き日の好敵手でもあった。
伊達の世界的な活躍は、日本の女子テニス界にも計り知れない刺激を与えた。1995年の全米オープンでは実に8人の日本人選手が本戦に直接出場するなど、伊達が活躍した時代は日本勢全体の活躍が目立った時期であった。しかし伊達の引退後、日本の他のトップ選手たちの相次ぐ引退もあり、
杉山愛が日本女子テニス界をリードしてきた。
その後
2000年2月6日 - 8日にかけて、シュテフィ・グラフの「引退世界
ツアー」で日本の対戦相手に指名され、
東京体育館、
名古屋レインボーホール、
大阪城ホールの3会場で
エキシビション・マッチを行った。2001年12月1日、ドイツ人レーシングドライバーの
ミハエル・クルムと結婚し、本名が「
クルム伊達公子」となった。
2008年3月15日、東京・有明コロシアムにてシュテフィ・グラフ、
マルチナ・ナブラチロワとともにエキシビション・マッチを行い、ここでは伊達が2試合とも勝利を収めた(当初はサバティーニが参戦予定だったが欠場。代わりに
ナブラチロワが参戦し、伊達と初めての対戦となった)。
現役復帰
2008年4月6日、現役復帰を決意したことが報じられる。4月7日に復帰記者会見を行い、12年ぶりにツアープレーヤーとして再びコートに立つことを表明する。37歳にして
プロ復帰した理由を「世界と戦うためではなく、若い選手へ刺激を与えるため」と語り、現本名の「
クルム伊達公子」でプロ登録した。
同年4月27日、岐阜市の
岐阜メモリアルセンターにある「
長良川テニスプラザ」で開催された「カンガルーカップ国際女子
オープン」の
シングルス予選で現役復帰する。3戦全勝で予選を突破し、本戦1回戦では
藤原里華、
準々決勝では
中村藍子を破り、決勝まで勝ち進んだが、
タマリネ・タナスガーン(
タイ)に敗れて
準優勝に終わった。15歳の
ジュニア選手・
奈良くるみと組んだダブルス決勝では、
ニコル・タイセン(
オランダ) &
メラニー・
サウス(
イギリス)組を破って優勝した。
同年6月15日、東京
有明国際女子オープンシングルス決勝で、主催者推薦で出場の18歳秋田史帆を 6-3, 6-2 で破り、シングルスでのプロ復帰後初優勝を果たした。同年7月12日、
日本サッカー協会理事に就任する。これは同協会
犬飼基昭会長の推薦によるもので、
平尾誠二(
神戸製鋼コベルコスティーラーズ総監督兼任
ゼネラルマネージャー)とともに
サッカー界
以外からの就任をした。11月には
全日本テニス選手権に出場、女子シングルス決勝で
瀬間友里加(
ピーチ・ジョン)を破って16年ぶり3度目の優勝を飾る。38歳での優勝は、
宮城黎子が1963年に41歳で優勝し、大会8連覇を達成した時に次ぐ年長記録である。また藤原里華と臨んだダブルスでも決勝で
米村明子&米村知子組を破って17年ぶり2回目(
藤原は6年ぶり3度目)の優勝を飾り、
吉田友佳以来5年ぶりの単複2冠の達成者となった。
2009年、クルム
伊達は
グランドスラム大会にも13年ぶりの再挑戦を始め、
全豪オープンで予選会を通過した。本戦1回戦では第25
シードの
カイア・カネピ(
エストニア)に 6-4, 4-6, 6-8 で競り負け、初戦敗退。
全仏オープンでは、故障で予選1回戦を途中棄権している。
ウィンブルドンにおいて、主催者推薦(
ワイルドカード)で13年ぶりの出場を果たしたが、第9シードの18歳、
キャロライン・ウォズニアッキ(
デンマーク)に 7-5, 3-6, 1-6 で逆転負けし、初戦突破はならなかった。復帰後WTAツアーレベルでは接戦の試合も見せながらも9戦全敗と、
ツアー初勝利の壁に弾かれていたが、そんな
中出場したハンソル・
コリア・オープン1回戦において地元の
Ye-Ra Leeを 6-3, 6-4 の
スコアで下し復帰後ツアー初勝利を挙げると、2回戦で第5シードの
アリサ・クレイバノワ(
ロシア)には第2
セット第9
ゲームで
マッチポイントを握られるも 4-6, 7-6(4), 6-3 の
大逆転で、準々決勝では第一シードの
ダニエラ・ハンチュコワ(
スロバキア)を 7-6(3), 4-6, 6-4 で、
準決勝では前年大会優勝者の
マリア・キリレンコ(ロシア)を 3-6,6-2,6-4 でのスコアでそれぞれ下し決勝戦に進出。決勝では
アナベル・メディナ・ガリゲス(
スペイン)6-3,6-3のストレートで下し、96年の
トーシバ・クラシック以来13年振り8度目のWTAツアーシングルス優勝を果たした。38歳11ヶ月30日での優勝は1983年のイギリス・
バーミンガム大会で当時39歳7ヶ月23日でシングルス優勝を果たした
ビリー・ジーン・キング(
アメリカ)の記録に次ぐ歴代2位の年長優勝記録となった。