米経済誌フォーブス(Forbes)が28日に発表した2007年度「著名故人の長者番付」で、米歌手のエルビス・プレスリー(Elvis Presley)が「年収」5200万ドル(約50億円)で2年連続の1位に輝いた。2位はスヌーピー(Snoopy)のキャラクターで知られる米漫画『ピーナッツ(Peanuts)』の原作者チャールズ・シュルツ(Charles Schulz)、3位は俳優のヒース・レジャー(Heath Ledger)となり、この3人の「年収」は総額1億500万ドル(約102億円)に上ったという。
プレスリーは、42歳で亡くなってから前年で30周年を迎え、米テネシー(Tennessee)州メンフィス(Memphis)にある旧自宅「グレースランド(Graceland)」での没後30周年記念イベントなどが収入増の一因となった。
プレスリーの07年度の年収は、現役で活躍する歌手ジャスティン・ティンバーレイク(Justin Timberlake)の4400万ドル(約43億円)やマドンナ(Madonna)の4000万ドル(約39億円)を上回るものだ。プレスリーの06年度の年収は、4900万ドル(約48億円)だった。
2位のチャールズ・シュルツは、2000年に77歳で死亡したが、07年度の年収は3300万ドル(約32億円)だった。彼の遺産相続人が前年、ワーナー・ブラザーズ(Warner Brothers)と契約を交わしたことが上位入りした要因となった。
以下は、1位から10位までのランキング。
1位 エルビス・プレスリー:5200万ドル(約50億円)
2位 チャールズ・シュルツ:3300万ドル(約32億円)
3位 ヒース・レジャー:2000万ドル(約19億円)
4位 アルバート・アインシュタイン:1800万ドル(約17億円)
5位 アーロン・スペリング(Aaron Spelling):1500万ドル(約14億6000万円)
6位 シオドア・ガイゼル(別名「ドクター・スース」、Theodor Geisel):1200万ドル(約11億6000万円)
7位 ジョン・レノン(John Lennon):900万ドル(約8億7000万円)
8位 アンディ・ウォーホル(Andy Warhol):800万ドル(約7億8000万円)
9位 マリリン・モンロー(Marilyn Monroe):650万ドル(約6億3000万円)
10位 スティーブ・マックイーン(Steve McQueen):600万ドル(約5億8000万円)
★エルヴィス・アーロン・プレスリー (Elvis Aaron Presley, 1935年1月8日 - 1977年8月16日)は、アメリカのロックンロールミュージシャン。ミドルネームは墓石にはAaronとつづられているが、サイン、公文書共にAronである。キング・オブ・ロックンロールまたはキングと称され、ギネス・ワールド・レコーズでは「最も成功したソロ・アーティスト」として認定されている。
プロフィール
黒人のリズム&ブルースと白人のカントリー&ウェスタンを融合することによって、今までにない新しい音〈ロック〉を誕生させ、広めた人物として知られる。初期はアメリカ、そして世界中の若者にロックンロールによって人気を博し、後期になるとラスベガスの舞台でカントリーやゴスペル、バラードなどを歌い、万人に愛されるシンガーとなった。
彼は最初、「The Hillbilly Cat(田舎者の猫)」という名前で歌手活動を始め、その後すぐに歌いながらヒップを揺らすその歌唱スタイルから「Elvis the Pelvis(骨盤のエルヴィス)」の愛称で呼ばれるが、アメリカのバラエティー番組『エド・サリバン・ショー』の3度目の出演の際には、視聴者の抗議を配慮した番組関係者が意図的にエルヴィスの上半身だけを放送したというエピソードが伝えられている。その際にサリヴァンが「このエルヴィス・プレスリーはすばらしい青年です」と紹介したことからサリヴァンにも罵声が飛んだ。しかしこのおかげでエルヴィスへの批判は少なくなった。また、フロリダの演奏では体を動かすなとPTAやYMCAに言われ、小指を動かして歌った。この時には警官がショーを撮影し、体を動かすと逮捕されることになっていた。
KWKラジオではエルヴィスのレコード(「ハウンドドッグ」)を叩き割り、ロックンロールとは絶縁だと放送。ロックンロールが青少年の非行の原因だと中傷され、PTAはテレビ放送の禁止を要求など、様々な中傷の標的になった。
彼の記録は多数あり、例えば、最も成功した音楽アーティスト、最多ヒットシングル記録(151回)、1日で最もレコードを売り上げたアーティスト(死の翌日)、等がギネスによって認定されている。CD・レコードの総売上げの公式発表は「売り上げデータは無し」である。推定数字として、1977年に「6億枚以上」、1985年までには「10億枚」とされている。
生い立ち
エルヴィスはミシシッピ州トゥーペロの小さな家で、ヴァーノン・エルヴィス・プレスリーおよびグラディス・ラヴ・スミス・プレスリー夫妻の間に1935年1月8日に生まれた。彼はトゥーペロで幼年期を過ごし、13の時に一家はテネシー州メンフィスに転居した。彼には双子の兄弟ジェシー・ガーロン・プレスリーがいたが、誕生時に死亡している。一家は1949年にロウダーデール・コート公営住宅に転居する。エルヴィスは11歳からギターを始め、ロウダーデール・コートの地下洗濯部屋で練習をした。彼はそこに住むミュージシャン達と演奏を行った。エルヴィスは高校卒業後に精密金型会社で働き、次にクラウン・エレクトリック社のトラック運転手となる。
スコットランド人作家アラン・モリソンはエルヴィスがスコットランド系であったと主張する。彼はその著書でエルヴィスの先祖が1700年代にアバディーンシャーのロンメイで暮らしていたことを発見したとする。また、記録によるとアンドリュー・プレスリーが1713年にロンメイでエルスペス・レッグと結婚したとしている。彼らの息子アンドリューが1745年にイギリスの植民地に移住したとのことである。また、ケビン・コスナーは自著本で、プレスリーがアイルランド人の血を引いていると出張している。同時に、プレスリーはドイツユダヤ人[1]の血を引いており、さらに4代前の祖母は、純血のチェロキー族インディアンである。
1950年代のアメリカでは音楽も人種隔離的な扱いを受けている部分が多く残っており、当時のロックンロールのヒットソングも黒人の曲を白人がカバーし、そのカバー版が白人向けの商品として宣伝され、チャートに掲載され、またラジオなどで流れる傾向にあった。例え同じ歌を同じ編曲で歌ったとしても、黒人が歌えばリズム・アンド・ブルースに、白人が歌えばカントリー・アンド・ウェスタンに分類されることが一般的だった。エルヴィスは、このような状況にあって黒人のように歌うことができる白人歌手として発掘された。
サン・レコード
1953年の夏にエルヴィスはサン・スタジオで最初の両面デモ・アセテート盤を録音するため4ドルを支払った。収録曲は当時のポピュラーなバラード“My Happiness”と“That's When Your Heartaches Begin,”であった。サン・レコードの創業者サム・フィリップスとアシスタントのマリオン・ケイスカーはその録音を聞きエルヴィスの才能を感じ、1954年6月に行方不明の歌手の代理としてエルヴィスを呼んだ。セッションは実り多いものであったかは分からなかったが、サムは地元のミュージシャン、スコッティ・ムーア、ビル・ブラックと共にエルヴィスを売り出すこととした。
1954年7月5日のリハーサル休憩中にエルヴィスは“That's All Right, Mama”をいじくり始め、サムはエルヴィスが適所を得たかもしれないと考えて録音ボタンを押した。即興での演奏でドラムスが不在であったため、ベースをかき鳴らしての演奏となった。B面に“Blue Moon of Kentucky”が収録されたシングルは、WHBQラジオが放送した二日後に、メンフィスでのローカル・ヒットとなった。また、公演旅行は彼の評判をテネシー中に広げることとなった。ラジオを聴いた人たちは黒人歌手だと勘違いしていた。
サンとの契約下でエルヴィスは5枚のシングルをリリースした。
That's All Right / Blue Moon Of Kentucky - Sun 209, 1954年7月19日
Good Rockin' Tonight / I Don't Care if the Sun Don't Shine - Sun 210, 1954年9月25日
Milkcow Blues Boogie / You're A Heartbreaker - Sun 215, 1954年12月28日
Baby Let's Play House / I'm Left, You're Right, She's Gone - Sun 217, 1955年4月10日
Mystery Train / I Forgot To Remember To Forget - Sun 223, 1955年8月6日
これらの多くはリズム・アンド・ブルースまたはカントリー・アンド・ウェスタンのヒット曲のエネルギッシュなカバーであった。レーベルには「エルヴィス・プレスリー、スコッティー・アンド・ビル」とクレジットされた。10曲の中で最短の曲は1.55"、最長のもので2.38"である。
1955年8月18日にエルヴィスの両親はプロデューサーのトム・パーカーとの契約書に署名し、サン・スタジオとの関係は終了した。
RCA
エルヴィスは1955年11月21日にRCAレコードと契約した。1956年1月28日に「CBS-TVトミー・ドーシー・ステージ・ショウ」にてTVに初出演し、黒人のR&Bを歌う。そこで彼は白人らしからぬパフォーマンスを披露したが、これに対してPTAや宗教団体から激しい非難を浴びせられた。しかし、その激しい非難にもかかわらず、それを見た若者たちは、エルヴィスのファンになっていった。
1957年1956年1月27日に第6弾シングル「Heartbreak Hotel / I Was the One」がリリースされた。これは1956年4月にチャートの1位に達した(Heartbreak Hotelはその後数多く登場したミュージシャンに多大な影響を与えた)。
エルヴィスが1977年に死去するまでの21年間に、146曲が100位以内に、112曲が40位以内に、72曲が20位以内に、38曲が10位以内にチャートインした。1962年4月21日から2週連続で1位を獲得した「グッド・ラック・チャーム」を最後にエルヴィスは1位から遠ざかったが、1969年11月1日、「サスピシャス・マインド」が1位を獲得し、「エルヴィスの復活」と言われた。1972年10月28日には「バーニング・ラヴ」が2位まで上り詰めたが、チャック・ベリーの「マイ・ディンガリング」(1972年10月21日から2週連続1位)に阻止された。70年代においてはエルヴィスは一度も1位を取ることはなかったが、2002年にリメイクされた「ア・リトル・レス・カンバセーション」は世界24カ国でナンバー1を取得した。アメリカにおいて1位を獲得したシングルの数は18作〈計80週間〉で、ビートルズの20作〈計59週間〉に次ぐ2位の記録となっている(Billboard誌に準拠)。
レコーディング場所について1950年代はニューヨークにあるRCAスタジオを利用したことがあったが、エルヴィスのキャリアにおいて、主演映画の挿入歌以外のレコーディング場所で最も利用されたのはテネシー州ナッシュヴィルにあるRCAスタジオBである。しかし、1972年以降はハリウッドにあるRCAスタジオや地元メンフィスのスタジオを利用した。更に1976年になると、RCAスタッフがエルヴィスの自宅(グレイスランド、ジャングルルーム)に録音機材を持ち込み、レコーディングを行った。
後年レコーディング自体に関心を示さなくなったのは、RCAのミキシングがエルヴィスの意向にそぐわなかったことや体調不良等の様々な理由があると思われる。しかし、エルヴィスは最後まで一発撮りと呼ばれる1テイク完成型のレコーディング・スタイルにこだわった(いくつかのテイクをつなぎ合わせて一つの曲として発表する形式や曲の別録りといった選択肢もあったが、エルヴィスはそれを嫌い、現在まで発表された曲数が700以上ある中で、そのような形式で発表した曲は少ない)。そのため、エルヴィスの死去後現在まで様々な未発表テイクが発掘されており、その中には発表されたテイクと違った趣向のものもある。後年、レコーディングに関心がなくなった頃は、体調不良を訴え、「歌のレコーディングは後で必ずするからミュージックだけ録音しておいてくれ」と言うこともあったが、ほとんどの場合、それは実現しなかった。
ヒット曲
ナンバー1ヒットは全18曲、合計80週間である。曲数はビートルズに次ぐ歴代2位である。週間数に関しては歴代1位である。ちなみに2位はマライア・キャリーの79週。(ビルボードに準拠)
Elvis Presley by Bottelho
全米ナンバー1獲得曲
ハートブレイク・ホテル(Heartbreak Hotel) 1956年 8週間連続1位
アイ・ウォント・ユー、アイ・ニード・ユー、アイ・ラヴ・ユー(I Want You,I Need You,I Love You) 1956年 1週間1位
ハウンド・ドッグ(Hound Dog) 1956年 11週間連続1位
冷たくしないで(Don't Be Cruel) 1956年 11週間連続1位
ラヴ・ミー・テンダー(Love Me Tender) 1956年 5週間連続1位
トゥー・マッチ(Too Much) 1957年 3週間連続1位
恋にしびれて(All Shook Up) 1957年 9週間連続1位
テディ・ベア(Teddy Bear) 1957年 7週間連続1位
エルヴィスは「なぜこんな曲が7週No.1になったのか?」と疑問に思ったという
監獄ロック(Jailhouse Rock) 1957年 8週間連続1位
ドント(Don't) 1957年 5週間連続1位
冷たい女(Hard Headed Woman) 1958年 1週間1位
恋の大穴(A Big Hunk o' Love) 1959年 2週間連続1位
本命はお前だ(Stuck On You) 1960年 4週間連続1位
イッツ・ナウ・オア・ネバー(It's Now or Never) 1960年 5週間連続1位
今夜はひとりかい?(Are You Lonesome Tonight?) 1960年 6週間連続1位
サレンダー(Surrender) 1960年 2週間連続1位
グット・ラック・チャーム(Good Luck Charm) 1961年 2週間連続1位
サスピシャス・マインド(Suspicious Minds) 1969年 1週間1位
その他
好きにならずにいられない(Can't Help Falling in Love) 1961年 全米2位、全英1位
心の届かぬラヴ・レター(Return to Sender) 1962年 全米2位、全英1位
イン・ザ・ゲットー(In the Ghetto) 1969年 全米3位、全英1位




